鶴見事件資料


【1.鶴見事件署名運動協力要請文
無実なのに殺されようとしている高橋和利さんを
助けるため、署名運動にご協力をお願いします


1 これまでの経過
 1988年6月、横浜市鶴見区で、金融業者夫婦が、白昼、市道に面した事務所内で惨殺されました。その日、電気工事業を営む高橋和利さんが事務所に行くと、夫婦はすでに死んでいました。高橋さんは、とっさに110番しようとしました。「そのときです、札束が目に入ったのは」。一瞬躊躇したものの、当時、会社の資金繰りに窮していた高橋さんは、結局、誘惑に負け、1200万円が入ったビニール袋に思わず手が出て、それを持って逃げました。逮捕された高橋さんは、過酷な取り調べを受け、殺人を認める自白をしました。しかし、公判では一貫して殺人を否認しています。
 横浜地裁は、1995年9月、死刑の判決を言い渡し、東京高裁も、2002年10月、控訴を棄却しました。高橋さんは最高裁に上告、現在、殺人を否認して無実を訴えています。

2 主要な争点で検察は弁護側に完全に敗北した
  裁判では、凶器と殺害順序が大きな争点となりました。
 自白では、凶器はバールとドライバー、殺害順序は、先に夫を殺し、その後外出先から戻った妻を殺したことになっています。しかし、鑑定の結果、バールとドライバーではできない傷があることが判明しました。また、妻は外出した形跡がなく、しかも、夫が事務所に戻る4、5分前に妻と電話で話をしたという証人が り、この証言が間違いないとすれぱ、胸背部や後頸部に64個もの刺切創があることや、便所内の血痕の状況からみて、便所で絶命して5分以上経過したのち座敷に仰向けに倒されたと考えられるので、夫が戻る前に妻が殺された可能性はなくなり、夫婦は、一緒にいるところを襲われて殺害されたことになります。
 このように、裁判では、凶器も殺害順序も自白は否定され、検察側は立証に失敗しました。
 検察官は、一貫して「夫、妻」の順に別々に殺害されたと言っていました。これに対して、弁護側は、「妻に電話した者の証言を前提にする限り、2人は同時に殺害されたとしか考えられない。ところが、2人が倒れていた6畳間は、什器備品が所狭しと置かれていて空間は非常に狭いのに全く争った形跡がなく、単独犯による 同時殺は不可能である。したがって共犯の考えられない高橋さんは犯人ではない」、と反論していました。検察官も単独犯による同時殺は考えていなかったので、裁判では単独犯による同時殺の可否は争点になっていませんでした。

3 ところが、東京高裁は不意打ち裁判によって被告人を死刑にした
  ところが、東京高裁は、突如、判決で、「単独犯による同時殺は遂行不可能とまでは認められない」という新説を披露し、高橋さんを殺人犯と断定したのです。そして、その具体的態様として、妻が6畳間の隅にある便所に入っているとき、高橋さんが夫に茶を所望するなどして、夫を6畳間に上げ、まず流し付近で夫を鈍器で殴って殺害し、その後便所に入っている妻を襲った、と説明しました。
 これは、弁護側にとってはまさに寝耳に水の不意打ちでした。検察との攻防に勝利した弁護側も、これには防戦のしようがありませんでした。

4 判決の致命的な欠陥その1
 単独犯による同時殺の可能性については、公判を通じて、全く議論が行われていません。案の定、説明がほとんど不可能と思われることがいくつかあります。 その1つが、流し付近に認められる妻の血液型の血痕です。例えぱ、流しの前に倒れている凹んだポットの 取っ手(ポットの下側になっている)に付着している滴下血痕です。判決の説明はこうです。「妻は便所付近で殺書され、流し付近では攻撃されていないので、この血痕は、犯人が妻を攻撃したとき、凶器に血痕が付着したほか、犯人の着衣や手などに返り血を浴ぴたので、それを洗い流すために、6畳間の奥から座敷の真中辺りを通って流しに行ったとき、滴下血痕が斜め下方に飛んで付着した」と。しかし、倒れたポットの下方側に位置した取っ手部分に滴下血痕が付着したことを説明することは極めて困難です。判決の説明は、被告人を有罪にするためのこじつけ以外の何物でもありません。
 これに対して、弁護人の説明はこうです。「この血痕は、凹んだポットが倒れていることから、流し付近 妻が攻撃され、そのとき傷口から飛び散った血が、立っている状態のポットの取っ手に上から滴下して付いた」と。これなら無理なく説明できます。現に、弁護人が何回実験をやってみても、倒れたポットの取っ手の同じ箇所に滴下血痕を付けることはできませんでした。
 判決の説明で何よりもおかしいのは、犯人が流し付近に来たとき、やおらぽたぽたと血痕が集中して滴下し始めたということで、それまで犯人が座敷の奥から流しまで歩いた道筋に、どうしてどこにも血痕が滴下しなかったのか、ということです。流し付近に滴下血痕が集中していること(ポットの血痕のほか、流しの手前にあるガラス戸に付いた手指血痕、桟に付いた滴下血痕、桟のきわ際の力ーペット上に付いた擦過血痕など)から考えて、妻が茶を入れようとして流しの前に置いてあるポットに近づき、そこで妻に対する攻撃が開始されたとみるのが最も自然な推理ではないかと思われます。

5 判決の致命的な欠陥 その2
  さらにもう1つ、妻は便所を使っていないと考えられることです。妻の残尿は50mlです。60歳の女性が排尿したときの残尿は5ml程度であり、多くてもせいぜい10ml程度であるというのが、専門医の所見です。したがって、妻は、排尿を済ませた状態ではありません。また、妻のズポンのウェスト部のボタン及び前ファスナーは完全に閉まっています。便器には尿が溜まっていないので、排尿したとすれぱ、水で流したことになります。なお、便器の底に血が溜まっているので、犯人が後から水を流したことは考えられません。妻は、体が不目由で、松葉杖が取れて間がなく、まだ階段の昇り降りができず、そのため1階で寝起きしていました。 排尿の途中で、夫が攻撃され、その異変に気が付いたとしても、下ろしたズボンを素早く上げ、身支度をキチンと整えるほどの機敏さがあったとはとても考えられません。また、そんな余裕がある筈はありません残尿が50mlということですから、異変があったとき排尿を終えて身支度を整え終わっていたとも考えられません。また、50mlでは、尿意を覚えることはないので、排尿を始める前だったということも考えられません。

6 単独犯による同時殺は否定され、判決の論理は破綻した
 こうしてみると、妻が便所に入っているとき、夫に対する攻撃があったとか、あるいは妻が流し付近で攻撃された形跡がないということは到底考えることができません。やはり、妻に対する攻撃は流し付近で開始され、そこから逃れようとして便所の方に向かい、そこでさらに攻撃を加えられたとみるのが自然な推理です。そして、そのとき、もう1人の犯人が、夫に対する攻撃に着手したと考えると、現場の状況とよく符合するのです。
 結局、判決が考えた「単独犯による同時殺」は、まず逐行不可能ということになり、有罪判決の論理構成は根底から崩壊してしまうのです。

7 東京高裁は十分な審理を尽くさなかった
 単独犯による同時殺の可能性については、これまでの審理を通じて全く論じられていません。したがって、その可能性については、証拠の検討が全く行われていません。少なくともポットを証拠に出してポットの取っ手に付いた滴下血痕が、はたして判決のいうように斜め下方に飛ぶのかどうか、検証する必要があります。弁護人は、これまでポットを証拠に出すよう、検察官及び裁判官に強く求めてきました。しかし、それは、いまだに実現していません。

8 署名運動の訴え
 このような経緯からも、判決は、どう控え目にみても最高裁では破棄差し戻しを免れないと思います。 しかし、著名な刑事法学者や元裁判官によって、日本の刑事裁判は絶望的かつ病理的であり、野蛮であるとまで酷評されています。そのような刑事裁判の現状を考えると、「死刑」から高橋さんを取り戻すためには、司法の場だけでなく、民主主義の原点に立ち返り、市民の力によって司法の世界を動かすことも必要であると思います。そこで、1人でも多くの市民の皆さんが、この趣旨に賛同し、そして力を貸してくださるよう、訴えずにはいられません。なにとぞ、ご協力をお願いします。

【呼ぴかけ団体】「死刑」から高橋和利さんを取り戻す会 日本基督教団社会委員会
連絡先●東京都新宿区早稲田*−*−* 日本基督教団社会委員会気付 
電話03〈3***)**** Fax03(3***)****
                                                 (2003年 7月)

【2.現場見取り図】
季刊刑事弁護(現代人文社) Summer 2003より転載

【3.参考文献】

大河内秀明著『無実でも死刑、真犯人はどこに−鶴見事件の真相−』現代企画室、1998年。
 
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